「そして」に関連した文献の一覧

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「そして」に関連した文献の一覧

 

横浜出身で戦前活躍した大衆作家・北林透馬について調べています。以下のような点について知りたいのですが、情報をお持ちでしょうか。・北林透馬は「ハマを代表するモダンボーイ」と言われたそうですが、モダンボーイぶりを伝えるエピソードはありませんか?・戦時中、北林透馬は「婦人公論」従軍記者の資格を取って、牧野勲さん(ある新聞の記者の資格を取得)と画家の河野鷹思さんの三人で神戸から大連へ向かいました。おそらく昭和12年後半のことだと思います(論拠=牧野勲・著「馬頸楼日記」の記述)。昭和18年に文化奉公会が編集した「東亞戰爭陸軍報道班員手記」という本に、北林透馬がタイとビルマで書いた現地レポートが掲載されています。彼に関する資料の中には従軍記者をしていたという事実に触れていないものが多く、詳細がまったく分かりません。北林透馬が従軍記者をしていた期間や訪問した土地などについて、教えていただけないでしょうか。・昭和12年7月から13年12月までの「婦人公論」をチェックしましたが、北林透馬の従軍記事はありませんでした。ただし氏が書いた「東京高等商船学校」のレポート記事が13年5月に掲載されており、「婦人公論」と無関係でなかったことは確かなようです。(北林が文壇に躍り出るきっかけとなった「アンデパンダン展」は中央公論社の主催でしたし)このように「婦人公論」の従軍記者の資格を得ながら、一本も記事を書かなかったという例はあり得るのでしょうか?・1975年に行われた「第22回ヨコハマ文学散歩」(横浜市文芸懇話会・横浜市教育委員会・共催) 。その中で余志子夫人がこんなエピソードを語っています。「横浜生まれの作家・里見 弴(さとみとん)原作の「多情仏心」という作品に「西山」という混血の不良少年が登場します。この西山は透馬の友人でした。彼のことは「フレディ」と呼んでいたようです。ある時期、西山は我が家の地所を借り、自動車置き場にしました。そして後年、ここに北欧風の家を建てたのです。ちょうど我が家の崖上に当たる土地です。後年、西山は何の断りもなく拙宅の建つ続き地所ごと、断りもなく他人に売ってしまいました。しかし、なぜか主人は一切抗議をしなかったのです。透馬は若い頃、実生活において山手にいた不良混血児たちと付き合いがありました。西山との付き合いはその頃のことを思い出させたようです」里見 弴研究者の間では、この西山は日独混血の映画スター江川宇礼雄がモデルだというのが定説です。1934年に「多情仏心」が映画化された際は、江川自身が西山を演じています。江川は横浜生まれで、セント・ジョセフ通学時代には横浜界隈では有名な不良でした。お伺いしたいのは、北林家(清水家)の石川町の土地の一角を、江川 宇礼雄が借りていたという事実があったかどうかです。レファレンス協同データベース
子どものころに読んだ絵本を探している。・タイトル、著者名、出版社、読んだ場所、絵本のサイズ、色等は不明。・1970年代後半生まれの方が小学生の頃読んだ。・ストーリー女の子がお母さんのお使いでパン屋さんに行くことになり、パン屋のおじさんにいろいろな種類のパンを出してもらうが、女の子の欲しいパンが出てこず、そのうちパン焼き機が壊れてしまう。そして壊れた拍子に食パンが飛び出してきて、女の子が欲しかったパンはこれだったことがわかり、無事に女の子はお使いをすることができた。小沢正著『へんてこパン』(ポプラ社, 2006)とストーリーが大変似ているが、次の点で異なる。・にんじんジャムを付けて食べるのではなく、ジャムのサンドイッチ・ウサギではなく人間の女の子・パン屋のおじさんが車でなく家で作業していた・絵がもう少しあっさりしている・絵の開きが逆だったような気がする・パン屋のおじさんがコック帽のようなものをかぶっていたような気がするポプラ社へも問い合わせを行ったが、同タイトルで過去に出版したことはないとのこと(「へんてこパン」製作時の担当者は退職しており製作に関することはわからないとのこと)レファレンス協同データベース
冬至や太陽暦等の年初の太陽の出を眺める行動について、日本以外でも行われている行動かどうか、確かめる資料や情報を探しています。また、その起源は歴史時代以前からあったのかどうかを調べています。 これは、「初日の出」を拝むことを指しているのかと言うと、それを含んでいますが、「拝む」というイデオロギーのある行動とも異なる行動性も見受けられる為、上記のような表現としました。更にこの質問の元となった経験も添えて説明の補助とさせていただきます。 本年元旦の未だ暗い早朝桜木町より歩いて山手地区の港の見える丘公園に向かいましたが、途中の大桟橋入口の交差点で大桟橋に向かって急ぎ集る人々を多数見ました。これは、別に宗教的な施設でもない大桟橋に、初日の出を眺める為に急ぎ集る人々です。そっして、港の見える丘公園にも二百人程集って初日の出を待つ人がおりました。暗い中にひしめていたわけです。太陽がいよいよ出る予兆が来ると、見ず知らずの人々が、いよいよだとささやき交わしているらしく(自分も来そうですよと言ってしまっている)ざわめきがあると同時に、光が射し、人々は喜び交わしておりました。(拝んでいる人は見当らず) 宗教的な場とも言えないこれらの場所に、バスも動いていない寒い夜明けの時刻から、人が集って太陽の出を眺める、もしくは立ちあうといった行為が、他国(他文化)にもあるかどうか、そして、これはいつからあるのかということを知りたいと思います。同時に、このような特定の宗教的記念的行動とも言い得ない行動について調べ得る方法があるのかどうか知りたいという事も含みます。ややこしく書きましたが、宜しくお願い致します。レファレンス協同データベース



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